2012年8月


モノから情報へ (-価値大転換社会の到来)

早速、書籍を注文しました。届くのが待ち遠しいです。早く読みたいです。 http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51346911.html

大西 宏氏のブログより転載
2012年08月29日 アップルが訴訟で勝った意味
  アップル対サムスンの特許をめぐる裁判はアップル完勝でした。アップルは1台あたりスマートフォンで30ドル、タブレットで40ドルのライセンス料で手を打とうとしたにもかかわらずサムスンが強気にでたことが裏目にでたことになります。  

陪審評決はアップルの主張する損害賠償の半分にも満たない損害賠償(10億5000万ドル=約826億円)でしたが、それでも史上最高の賠償額で、しかも最終的な賠償額は、判事による判決によって決まり、最高3倍まで膨れあがる可能性も残されています。販売差し止めをアップルはを8製品に絞って要求していますが、それは公聴会を経て結果がでるようです。

さてこの裁判は時代の大きな変化を象徴しているように感じます。サムスン対アップルは、大げさかもしれませんが、「モノづくりビジネスの勝者」&「モノづくりの時代の考え方」対「ITビジネスの勝者」&「情報創造の時代の考え方」が正面衝突した裁判だと見ればまた違った風に見えてくるのではないでしょうか。そして、「モノづくりの時代の考え方」が「情報創造の時代の考え方」に完敗したのです。アップルがこの訴訟の本質は「金銭や特許ではなく、価値観」だと述べていることも、従来の訴訟との違いを感じさせます。

特許侵害の争点になっていっるのは、「アイコンのデザイン」であったり、「スクロールの最後で跳ね返る」、「1本指でスロール、2本指でピンチ、ズーム」、「タップしてズーム」とか、モノづくりの価値感で見れば、本質的な機能ではなく、些細なほんの小さな特徴にすぎません。その程度で800億円を超える、これからの判決によってはその3倍にもなりえる賠償金を支払らわなければならないのです。

しかもその影響ですが、たとえ賠償金はサムスンにとって致命傷になる金額ではないにしても、また最新モデルの「ギャラクシシーS3」などは販売差し止めが求めわれていないので直接的な影響は小さいかもしれないとしても、まるで重しを架せられたように問題をひきずり、連鎖して広がってくる可能性が高いように思います。サムスンにとって、またアンドロイドOSを提供しているグーグルにとってもそれは当てはまりそうだということです。アンドロイド勢でまともな利益を出しているのはサムスン1社だけで、他のメーカーでは訴訟に耐えないことも考えられます。いつ何時訴訟に持ち込まれるかわからない状態が続くのですから。

「モノづくりの世界」であれば、特許は、右から差し込むものを左から差し込むようにするなどの工夫で逃れることができる場合もあります。また問題は、特許に触れた箇所だけの範囲で収まります。

しかし「情報創造の世界」の場合は、ドミノ倒しのようにその影響範囲が広がっていく可能性が極めて高いのです。

例えば、「モノから情報へ-価値大転換社会の到来」で立命館の佐藤典司教授は分かりやすい例をだしています。佐藤教授は情報は組み合わせの仕方や関連付けで大きく意味が変わってしまう世界だとし、DOGとGODをあげていらっしゃいます。同じアルファベットを使っているにもかかわらず、順序が違うだけで意味が変わってしまうのです。同じように小さな要素の関連付けの違いでiPhoneになったり、Galaxyになります。今回のアップル対サムスンもこのことを想像すれば、もし特許訴訟でアルファベットの"O"が使えなくなると、DOGにもGODにもならなくなってしまうこともあり得るのです。堅い記号のDGとかGDになってしまいます。  

影響範囲ですが、すでにサムスンの敗北は株式市場に影響し、時価総額が120億ドル下落してしまいました。さらにブランドにまでおよんできます。基本OSであるアンドロイドそのもの、またアンドロイド連合軍にまで影響してくる可能性が否定できません。NTTドコモは日本に影響はないと呑気なコメントを出していますが、まあ悲観的な見方は出せない事情がそうさせるのでしょう。逆にそれだけ危機感があるとも読み取れます。

しかも、世界中でこの訴訟が起こっていて、長引きそうですが、長引いてもアップルは失うものがありませんが、サムス他のグーグル勢は結果がどうなるかわからないというリスクを抱えた状態が続きます。それはハンディとなってきます。

さて、「モノづくりの世界」のものの見方や価値観では、もともとアップルはなにも発明もイノベーションも起こしていないのです。電話できること、インターネットを利用できること、音楽をダウンロードできることなど、そのほとんどの機能は日本の携帯が実現していたことばかりです。いや、おサイフケータイ、ワンセグなど、機能は日本の携帯のほうが充実していたのです。しかしこの分野で日本は惨めなぐらい敗北してしまいました。

しかもスマートフォンもすでにあった分野です。しかし、アップルは携帯市場を一変させたという現実は誰も否定できません。iPhoneが登場前のスマートフォンとその後のスマートフォンの違いを見れば、歴然としています。

Apple_Samsung1-380x271さて、時代は「モノの価値」が主役であった時代から、急速に「情報の価値」が主役の時代へと変化してきました。この変化はかなり昔から予兆されていたものです。情報革命、知価革命など言葉が飛び交っていました。

しかし実際にこの変化を体験してみると想像をはるかに超えた力をもった激流でした。ツイッターやフェイスブックなどのように人と人のつながり方まで変えています。そして働き方、求められる能力、所得の配分までをも変えてきました。また商品やサービスそのもの、それらを支える物流などの仕組み、商品やサービスの売り方、そして皮肉なことにモノづくりのあり方まで変えてきたのです。

そして、日本はその大きな時代の節目をとらえることに遅れてしまいました。それが日本の経済の長い停滞も大きな原因となっていると思っています。 残念なことにこの変化を見ようとしていないの人が多いのです。マスコミもそうです。今回のサムスンの完敗の評定についても、さすがにIT系のネットメディアは詳しく報道していましたが、日経ですら、さもサムスンよりはアップルのほうがダメージが大きかったというピント外れな特集を組んだりしていました。さすがに軌道修正してきていますが。

ところで、産業革命が起こったにもかかわらず、相変わらず、教育は儒教を学ぶことだ、そろばんだとし、またモノを運ぶのは帆船と牛車だ、鉄道は危ないからダメだ、モノは職人さんの腕で良し悪しが決まるといった考え方をする国があったらどうでしょう。

今私達が体験している時代変化がなにか、立命館大学の佐藤典司教授は価値そのものが大転換した時代が来ている、それは企業も、人の生き方も変えてきており、それを正しくとらえることがまずは重要だとされていますが、逆にこの変化を直視しなければ出口なしの迷路にさまよい込んでしまいかねません。

これまでも、情報革命の時代を予兆した書籍は数多くありましたが、佐藤教授の「モノから情報へ-価値大転換社会の到来」が異なるのは、すでの起こっている価値大転換を読み解き、その原理がなにであるのかを整理することを試みていることです。きっとそこに働いている原理を見つければ、明日を見いだすことも可能になってきます。

日本は、モノの時代、工業化の時代の波に過剰適応してしまいました。だから抜け出すのに時間がかかっています。大事なことは、この時代変化について、それぞれの人が整理してなにが変わったのかを考えることではないかと感じます。ちきりんさんではありませんが、自らの頭で考えることが、この変化をチャンスに置き換えるためには必要なのだと思います。

「モノから情報へ-価値大転換社会の到来」はタイトルがセンセーショナルではないのでいかにも地味そうですが、しかし書かれている内容はそうではありません。ぜひ読んでいただきたい一冊がです。 特に教育に携わっている人はこの時代変化を理解して欲しいのです。情報が価値となる時代は創造の時代であり、工業化の時代のように横並びで、効率良くものごとをこなせればいいという時代ではありません。「どう作るか」の能力から「何を作るか」の能力が求められているのですから。それは知識をいくら詰め込んでも生まれてくるものではないのです。


女性の価値

http://news.livedoor.com/article/detail/6892573/

上記より転載

>>

女性が結婚相手に求める年収は500万円台がもっとも多い(約2割)けれど、5人に1人は1000万円以上を求めているらしい(女の転職@type 調べ)。お金がすべてではないけれど、ほかの条件を全部無視して貧乏とお金持ちのどちらと結婚したいかと聞かれたら、そりゃお金持ちのほうが良いと答える のは当たり前かも。

でも、お金持ちの男性って、どんな人と結婚したいの? やっぱ美女なの? 結婚に関しては、まだ「好きな人と結婚できれ ばお金なんか......」という乙女心を保っている記者ではありますが、美女ではないため、お金持ちがまったく相手にしてくれないとしたら、「欲にまみれて、は したない」とは思いながらも、少し残念な気がしちゃうのです。だって、美女かどうかって、生まれついた要素も大きいから。

しかし、実はそん なことはないのかも。お金持ちは結婚相手に美女を好むのかどうかを調べているうちに出会った、胸のすく記事があったので、紹介します。記者のように自分を 美女だと自覚していない女性だけではなく、「美女」に手ひどい目に合わされた男性の皆さんや、「容姿なんか武器にならない」と思っている賢い美女も、必見 ですよ!

事の起こりは、とある有名なフォーラムに、25歳の美女(自称)が書き込んだこと。それに答えるJPモルガンの社長の言葉が、とても明晰で秀逸なのです。まず、美女が書き込んだのは、以下のような内容。

********************************
<美女からの投稿>

タイトル:お金持ちと結婚するためにはどうしたらいいの?

正 直に書こうと思います。私は25歳で、かなり美人ですし、品もよく、センスもいいです。私は年収50万ドル(4000万円くらい)以上の男性と結婚したい と思います。欲張りだと言われるかもしれませんが、ニューヨークでは年収100万ドル(8000万円くらい)でも中流と言われるのです。私の要求は高くあ りません。このフォーラムに誰か年収50万ドルの男性はいませんか? みんな結婚しちゃってるんですか? 

私が聞きたいのは、あなたのよう なお金持ちと結婚するためには、どうしたらいいのかと言うことです。私が今までお付き合いした人の中で一番のお金持ちは、年収25万ドルの人だったのです が、年収25万ドルが限界なのかな、という気がしています。でも、ニューヨークの西にあるニューヨークシティガーデン(?)というところに引っ越すために は、年収25万ドルじゃ、足りないんです。

恐れ入りますが、次の質問に答えてもらえませんか?

1.お金持ちの独身男性はどこに集まっているのですか?(バーやレストラン、ジムの住所のリストがほしいです。)
2.何歳くらいの人を狙ったらいいでしょう?
3.なぜ、お金持ちの妻達のほとんどが、特にかわいくもない平均的な容姿なのですか? 美人でもおもしろくもないのに、お金持ちと結婚した女の子を何人か知っています。
4.結婚するか、付き合うだけで終わるかの決め手は何ですか?(私の目的は、結婚することなのです。)

美女より

********************************

おおお! ここまで自分のことを美女と言いきれるなんて、すごいです! 記者は口が裂けても、いや指が折れてもこんなことは書けません。

そして、この質問に答えたJPモルガンの社長のお返事がこれ。

================================
<JPモルガンCEOのお返事>

親愛なる「美女」さん

あ なたの投稿をおもしろく読みました。おそらく、あなたと同じような疑問を持っている女性はたくさんいるでしょうね。あなたの状況を、プロの投資家として分 析することをお許しください。私の年収は50万ドル以上。あなたの希望に添っていますので、ここでこれを読むみなさんの時間をムダにしないのではないかと 思っています。

ビジネスマンの視点に立って判断すると、あなたと結婚するのは悪い決断です。理由はとても単純です。説明しましょう。

細かいことは抜きにして、あなたがやろうと思っていることは「美」と「お金」の交換です。Aさんが美を提供し、Bさんがそれに対してお金を払うのです。フェアでわかりやすいですね。

し かし、ここには1つだけ重大な問題があります。「美」は、そのうち「なくなってしまう」ということです。しかし、「お金」はそうではありません。実際、私 の年収は毎年上がり続けています。しかし、あなたは毎年どんどん美しくなるでしょうか。つまり、経済的な観点から言うと、私は「魅力的な資産」ですが、あ なたは「値下がりしていく資産」だということです。しかも、「急激に値下がりする資産」なのです。もし「美」があなたの唯一の資産ならば、あなたの10年 後の価値は、かなり心配すべきものでしょうね。

ウォールストリートでは、どんな取引にも「短期保有」と言うものがあります。あなたとデート することは、「あなたを短期的に保有すること」です。取引では、売買するものの価値が落ちるとわかれば、私たちはそれを売ってしまいます。「長期保有」す ることはないのです。でも結婚は、「あなたを長期的に保有すること」なのです。

残酷なようですが、賢い選択をするなら、急激に価値が値下が りするものは、売ってしまうか、レンタルするくらいで十分なのです。年収50万ドルを稼ぐ人はバカではありませんから、あなたとデートはしても、結婚する ことはないでしょう。お金持ちと結婚するための方法を探すのはおやめなさい。それよりも、あなたが年収50万ドル稼ぐ人になるのです。これが私のアドバイ スです。お金持ちのバカを探すよりも、ずっとチャンスがあると思いますよ。

この返信が、役に立ったらうれしいです。もし、あなたが「レンタル」に興味があるなら連絡してくださいね。

J.P.モルガンCEO
================================

「美女はレンタルで十分!」なんとも、おもしろい発想ではありませんか? しかもちゃんとオチがついてる!

実はこの話、アメリカではチェーンメールのように転送に転送が繰り返されたものの様子。本当のところJ.PモルガンCEOが書いたのかどうかはわかりません。もしかしたら、誰かがおもしろがって美女の手紙とCEOの手紙を書いたのかもしれません。

で も、ここには、何かの「真理」がある。記者はそう思いました。別に年収4000万円の男性と結婚するわけでなくても、結婚は「一生モノ」。男性から女性を 見る場合も、その逆も、「今、現在持っているもの」で判断するなんて、浅はかだということ言うことなんですよね。だって、ある男性の今の年収が良かったと しても、会社が何らかの事情でその給料を払えなくなることなんて、ざらにある話なんですから。

記者は、この話を読んで、「長期保有したくなる人」になろうと決心しました。美女じゃなくても、大丈夫なんだよー!

(文=山川ほたる)

参考:cite HR(http://www.citehr.com/290417-humor-ceos-j-p-morgan-fantastic-reply-pretty-girl.html)
 






他者からの称賛 自分からの称賛

他者からの称賛は必要ないのではないか。

必要なのは、自分からの称賛ではないか。

自分自身の人生だから、死ぬ時に自分の人生を称賛できれば、それで良いのではないか。

いくら他人からの称賛があっても、それが自分の納得のいかないものであれば価値はないのではないか。

行為をする前に、己に問うてみると良い。

これで、自分からの称賛を得られるのか、と。

金森重樹氏の本

金森重樹 1年で10億つくる不動産投資の破壊的成功法


この本を読んでみて勉強になった点、考えさせれた文章を抜き出してメモしておく。


@チャンスがなかったのではない、度胸がなかったんだろ。

@コンフォートゾーン  セルフイメージ

@成功回避傾向

@金儲けは最大のボランテイア

@人間の認識の不完全性

@脳の狂いは予想以上に大きい。

例))学校の試験で70点ということは脳は30パーセント、間違っている。

プロ法律家のビジネス成功術


@理詰めで富裕者になる。

@資格の問題ではない。自分がその資格をどう定義するかが問題。

@コストには躊躇なくお金を使う。

例))売上10万 コスト50万

@資格は、そもそもメシを食っていくための手段でしかない。

@クライアントから見れば今、自分が悩んでいる課題を解決してくれる人がありがたいのであって何士かは関係ない。

@商売は自分に有利な土俵で勝ちやすきに勝てばいいのです。

@市場の歪み
@付加価値

@人、物、金、情報

4大リストは有限、選択と集中

@寄生虫は宿主が滅びると自らが滅びる。


超営業法

@力のない者同士が群れても何の役にも立たない。

@人間は失敗するのが怖いと同時に成功することも恐れている。
(成功回避傾向)

理詰めで金持ちになる。


週刊現代 2012 0901号

何のために稼ぐのだ?

自由を手に入れるため。お金の自由。時間の自由。


【数量限定】【お届け先・東京23区限定】【1000円以上で送料無料】【平日即日発送】講談社/週刊...

非属の才能

実にスゴイ文章を見つけました。非属の才能です。これを読んだ時、私のために書かれたのかと思いました。

ttp://www.zetsuyaku.net/pg386.html

以下、転載

「非属の才能」はじめに

 ・「空気が読めない奴」と言われたことのあるあなた
 ・まわりから浮いているあなた
 ・「こんな世の中おかしい」と感じているあなた
 ・本当は行列なんかに並びたくないと思っているあなた
 ・のけ者になったことのあるあなた

 おめでとうございます。

 あなたには"非属の才能"があります。


「みんなと同じ」はもうやめよう

 才能はどこにある?
 あなたの才能は、いったいどこにあるのだろうか?
 僕はこれまで、浸画の取材で数百人もの「才能のカタマリ」のような人たちに直接会って話を聞き、才能の在処(ありか)を探ってきた。

 その経験から見えてきたのは、
「才能というものは"どこにも属せない感覚"のなかにこそある」
 という一つの結論だ。

 学枚にひとりも友人がいなかったという爆笑問題の太田光(ひかり)に大槻ケンヂ、そして「高校三年間で五分しかしゃべらなかった」というお笑い芸人のほっしゃん。
 どんなギリギリの状況でも「YES」と言い続けるオノ・ヨーコに、「人の言うことは聞くな」と主張する五味太郎。「頭のなかを麻痺させるのがイヤだった」というよしもとばななに、「外界を見ろ」と叫ぶ富野由悠季。
 小学校のクリスマス会を「自主参加でいいですよね」と言って堂々とサボっていた井上雄彦に、一五歳にして女性とつき合う可能性を100%あきらめ、徹底的に自分の興味ある研究に没頭した荒俣宏。
 さらには、二四時間三六五日、魚のことばかり考えているさかなクンに、四〇歳まで自分が何者なのか悩み続けたのっぽさん......。

 彼らはみんな、自分のなかの「どこにも属せない感覚」を信じ続けた、言うなれば"非属の才能"の持ち主だ。

 少し別の言い方をすれば、「みんなと同じ」という価値観に染まらなかった人間とも言えるだろう。
 彼らは、群れの掟に従えば、人と違う自分だけの感覚、自分だけの才能がすり減ることを知っていた。だから、どんなに疎外され、いじめられ、孤立しようとも、まわりのみんなに合わせるようなことはしなかったのだ。
 彼らは、才能がどういうところにあるのか、本能的に感じ取っていたのだろう。

「みんなと同じ」時代は終わった

 ところで、僕たち日本人がどんな教育を受けているかといえば、どんな場面でも空気を読み、協調性を持つことがいちばん優先されるような教育だ。

 しかも、その多くは「協調」などではなく「同調」の圧力だろう。
「みんながそう言っている」という顔のないモンスターに逆らうと、とたんに仲間外れにされ、生きる場所を奪われる。
 誰にでもそういった経験が一度や二度はあるはずだ。

 たしかに、みんなが右を向いているときに左を向くのは容易なことではない。まわりが「だよねー」と連呼しているなか、ひとり「そうは思わない」などと言えば、いじめられたり、奇人変人だと煙たがられることは目に見えている。
 だから、日本人は主張しない。自分を押し殺す。
 そうすれば、とりあえず仲間はできるし、いじめられずにすむからだ。

 そんなこんなで、同調圧力がもっとも強い学生時代にまわりに合わせることを覚えた人間は、その気楽さゆえに、いつも行列のうしろに並んでいる自分の人生に疑いを持たなくなってしまう。
 「自分はどういう人間か?」「どう生きるべきか?」「幸せとは何か?」といった人生の大問題は無視され、うやむやになる。

 それでも、それなりに暮らせた時代はよかった。経済はずっと右肩上がりだったし、群れてさえいればソコソコの幸せを感じることができた。

 しかし、そういった「恵まれた時代」はついに過ぎ去ってしまった。
 いまや倒産やリストラは珍しいものではなく、格差や競争があたりまえの時代だ。
「どんなときも横並び」といった群れは淘汰され、才能のない人間は退場を強いられてしまう。

 言葉を換えれば、「どこに属しているか」より、「その人個人」の存在が問われるべき時代になったと言ってもいいだろう。
 そんな時代に幸せに生きることができるのは、「みんなと同じ」といった楽を選ばず、自分の非属の部分に目を向け続けた人間だ。

 もっと言えば、行列の最後尾に並ぶ人間ではなく、先頭に立ち、自ら行列を作るような人間だろう。
 ずっとまわりに合わせて生きてきた人間には、主張すべき「自分」というものがない。もちろん、「これが人と違う私だけの才能です」と胸を張ることのできるような才能もない。
 そんな人は、斬新な発想や独創性が決定的にものを言ういまの時代に、「使われるだけのパーツ」以上の働きは望まれないだろう。
 要するに、「才能のない人間」として消耗されてしまうのだ。

僕が漫画家になった理由

 僕はノートをまったく取らない子供だった。
 小学校の家庭訪問のとき、担任の先生が「こんな子ははじめてです」と頭を抱えていた光景をよく覚えている。
 先生たちに言わせると、僕は見事な「ダメ人間」だ。

 なんでノートを取らなかったかといえば、黒板を書き写しているフリをして、漫画のアイデアを書き留めたり、詩や散文を書いたり、「人生とは何か?」なんてことを考えたりしていたからだ。
 やることが多すぎて、授業を聞いている暇なんてなかった。だから、まわりのみんなが真面目にノートを取っているのが不思議でならなかった。

 学校も授業も先生も相手にしていなかった。
 そして、中学、高校でも毎日、授業も聞かず漫画を描いたり、謎の未確認動物の研究などを行ったりしていた。
 当然、まわりからは変人扱いされ、価値観の近い友達はいないし、テレビの話題にもついていけなかったが、孤独を感じたことはなかった。

 そんなこんなで、気がつくと二ー年もプロの漫画家をやっている。
 とはいえ、この職業は想像以上に過酷だ。
 連載のため睡眠は満足に取れず、食事もいい加減になり、命を削って描いた作品がいともたやすく酷評され、あっという間に打ち切られることもざらにある,

 それでも漫画を描いていると、ときどき、えも言われぬ幸福感が身体中を走り抜け、真夜中に叫びたいほど幸せな気持ちになることがある。
「ノッてきた、ノッてきたー」と言っていきなり笑い出す僕を、いつもアシスタントはあきれ顔で見ている。

 こんな僕に、「自分の才能はどこにあるのか?」といった悩みはまったくない。
「それはあなたがプロの漫画家だからだろ」と言われればそれまでだが、僕自身は、「真面目にノートを歌るような子供」じゃなかったからだと思っている。
 子供の頃から、自分のなかの「どこにも属せない感覚」に従って、同調圧力にも負けずに非属的に生きてきたからこそ、自信を持ってそう言えるのだ。

 もし、親や教師の言うことを素直に聞くような子供だったなら、漫画はとっくにやめていたはずだ。
「なんで僕だけ、こんなに漫画を描くのが好きなんだろう」という違和感を封印し、まわりの友達と同じように受験勉強に明け暮れて、いま頃、どこかで真面目に会社勤めでもしているのかもしれない。
 もちろん、それでも幸せに生きていく自信はあるが、いまの僕ほど自分らしく幸せな暮らしは到底、できないはずだ。

幸福な人生を送るための方法

 「なんか違うなあ」といつも心のなかで思っているあなた。
 実は、あなたには才能がある。
 ただ、まわりの空気を読んで、いい人を演じて、その違和感を押さえつけて、ないことにしてきただけなのだ。

 ところが、本当の才能や独創性といったものは、そういった属することのできない違和感のなかにこそある。
 僕が自信を持ってそう言えるのは、実際に、「はみ出し者」「変人」「引きこもり」「いじめられっ子」「妄想家」「ひねくれ者」の人たちが、その非属っぷりゆえに大成功をおさめた例を死ぬほど見てきたからだ。

 彼らは自分のやりたいことをやり、杜会になにかしらの影響を与え、そして、実に幸せそうに毎日を過ごしている。
 また、誰とでもうまくやっているように見える人でも、心のなかに「どこにも属せない何か」を抱えていて、クリエイティブの源は案外そのあたりにあるということも経験からわかってきた。


才能は、意外に身近なところにあった。
 幸せに生きるための方法も、実はカンタンなものだった

 そんなにむずかしく考える必要はなかったのだ。

 もし、あなたが「自分にはみんなと違うところがある]と感じているなら、そのみんなと違う部分をもっともっと誇っていい。

 もし、あなたのなかに奇人変人の気質があるなら、どうかその気質を恥じるのではなく、思いっきり自信を持ってほしい。

 もし、あなたがまわりから孤立して、絶望しているなら、いずれその経験があなたの人生をすぱらしいものにしてくれることを知ってほしい。

「生まれながらの天才にしか、才能はない」
「まわりに合わせて我慢しないと、幸せにはなれない」
 これは嘘だ。道はある。

 あなたのなかにも必ず才能は眠っているし、どんな人でも自分らしく、幸せに生きることができる。
 才能の扉をこじ開け、幸福な人生を送るための鍵は、"非属"というキーワードのなかこあるのだ。